絶対忘れる事が出来ない1月17日 神戸淡路大震災の思い出

今年も私の記憶から絶対消えることの無い1月17日がやって来ました。

16年前の今日、私は神戸市須磨区の自宅で震災に遭いました。

未だに6500名近い人が亡くなった事が信じられないのです。



私は現在、九州福岡に居を構えていますが、生まれも育ちも関西で福岡

には、16年前の震災直後に越して来たのです。

当時勤務していた会社の配慮で転勤してきたのですが、神戸がまだ復興

にも動き出せない時期に地元を離れたので、私の心情は毎日の生活と言う

より生きていくことに苦しんでいる地元の仲間を置いて、自分だけ逃げたと

いう思いが未だに強く残っています。



神戸の友人達は馬鹿なこだわりと笑ってくれていますが、本当はそんな

友人達や同僚や家族と一緒に戦うべきだったと毎年後悔の念がつのる

のです。



当時、私の自宅は一番被害の多かった長田区と隣接しており、当日と翌日

まで自宅のベランダに火の粉が空から降ってきて、部屋の中が綺麗な

オレンジ色だった事、自宅前の道路が陥没し割れた水道管から直接水を

飲んだこと、余震の度に崩れかかった家々が意外と静かな音を立てて完全

に倒壊していく音、埋もれた家族の名を叫ぶ人の声など、絶対に忘れることが

出来ないのです。




地震があった瞬間も、揺れている間の事も、近隣の住民達とケガ人の救出

や亡くなった方の搬出などのいろんな事は記憶にあるのに、被災から10日

後に須磨区から垂水区の友人宅まで歩いて避難した後の記憶がほぼ無い

のです。




普通は時が解決してくれると言いますが、この思いと経験した記憶は解決

されることはないようです。

16年前の今日、筆舌に絶する経験をした事が私にとってどんな意味があった

のか、強制的に人生を終わらされた6500名弱の方々に対して、あの日命を

繋ぎ止める事ができたことの意味を一生考え続けることになるだろうことだけが

はっきりしているのです。



1年中ポジティブな私が、1日だけネガティブになる1月17日です。

しかし、放水車の脇で消防士が涙を流しながら消火活動していた姿を見た

時には、神戸の将来と自分の命が終わるんだと真剣に思ったものです。


↓ 私にとって、いろんな思い出のつまった故郷です。(合掌)
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